「場づくり」とは?
また、単に雰囲気づくりということとも違います。
主催者の内側にある思いを、場として表現すること
上に示した場づくりのキービジュアルは、ハート(作り手の思い)と楕円(場)がつながっています。いずれも同じ斜線で塗ってあるのは、質的につながりがあることを示しています。
このつながりがあると、主催者は喜びを持って場を運営出来ますし、それに共感する人々が集まり、社会的に意味のある場に育っていきます。
逆に、体裁だけを整えても、つくり手の思いが反映されていないと、アイデンティティの見えない混乱した場になってしまいます。こうした場には魅力や力がなく、継続性も低くなります。
「場」と「場所」は別のもの
「場」というと、建物や施設のこととして話す人がいたり、雰囲気などを含めたニュアンスで話す人がいたりします。れんげ舎の提唱する「場づくり」では、場所と場を分けてとらえています。
場所=建物、施設など、地図で示せる任意の地点(会社のオフィス、公共施設の会議室、公園、自宅など)
場=主に人と人とのつながりのあり方によって生み出される雰囲気や可能性
「場所」は、通常使われる意味合いと同じです。自分たちが所有・占有している場合にせよ、間借りしている場合にせよ、建物や施設などを指します。
一方、「場」は、人と人とのつながり方、そのあり方によって生み出される雰囲気や、そうした雰囲気だからこそ紡がれる可能性のことです。
例えば、気のおけない仲のいい友人どうしで集まると、安心感があり元気が出てきます。やりたいことを口にしたり、それが実現するような可能性が感じられます。
一方で、ギスギスとした、悪い意味での緊張感のあるメンバーが集まっていたらどうでしょう? たとえ上辺を取り繕っても雰囲気は良くありませんし、可能性もたかが知れています。
場所は変わっても、メンバー(人と人とのつながり方)が同じなら、ちょっとした趣の差があるだけで「場」は同じです。
ちょっとしたイベントから職場づくりまで
そういう意味で、「場」とは多層的な概念です。
「組織・会社を立ち上げる」ことも「場づくり」になりますし、その組織で開かれる日々の「会議」や、「職場・活動の場」を運営することも「場づくり」になります。
また、単発のイベントを開催したり、ちょっとした1回だけの集まりを開くことも「場づくり」ですし、継続的な集まりをつくったりすることも「場づくり」です。
地域の人々や、同じ思いを持った人が集まれるような拠点運営をすることも「場づくり」です。拠点は建物ですが、そこで展開される「場」の豊かさをつくり出すのは「場づくり」です。素敵な施設があっても、雰囲気が悪く良い可能性が生まれないのであれは、意味がありません。
こんな人にこそ、場づくりを!
▢ちょうどいい場が見つからない!
自分がやりたいこと、問題だと思っていることがあっても、外にちょうどいい活動の場がないとき、どうすればいいのでしょう?「場づくり」の理論と実践が身についていれば、活動の場をゼロから創造し、それを豊かなものに高めていくことが出来ます。
▢いまの場を、もっとよくしたい!
場づくりは、新しくつくり出すことに留まりません。むしろ、それを継続させていく日々の運営こそが本質です。既にかかわっている場をもっと良くしていきたい場合にも、「場づくり」の学びは有効です。
▢新しい生き方を模索したい
やりたいことがいつでもはっきり・くっきりしているとは限りません。むしろ、曖昧で言葉にならなかったり、エネルギーはあるけど表現出来なかったり、そういうことの方が多いのではないでしょうか? そういう状態のときにも、「場づくり」の学びは有効です。
新しい「場」が出来ると、自分の内面、生活、世界が変わります。
どうやって学べばいいの?
場づくりを学ぶ方法として、3つの提案があります。
1.「無料メルマガ」から学ぶ
無料のメールマガジン『場づくりのチカラ』は、「場づくり」が学べるコンテンツ中心のメルマガです。月3回の配信で、少しずつ学べます。購読解除もご自身で簡単に行えます。
2.「本」から学ぶ
書籍『場づくりの教科書』は、「場づくり」の基本となるやり方・考え方を体系的に学べる画期的な入門書です。Amazon「NGO・NPO部門」1位、「ビジネルライフ部門」4位を獲得しました! 全国の書店、Amazonなどでお求めになれます。
3.「場づくりクラス」から学ぶ
場づくりクラスは、年に1コースだけの「場づくり」が学べる唯一のクラスです。座学・実践・ワークの組み合わせで、知識のインプットに留まらず、身につけ、自分なりに進化させていきます。
れんげ舎が「場づくり」ということを大切に考えるようになったのには、理由があります。
わたしたちの活動は、小さな子ども会活動でした。1990年代前半、当時はNPO法人格もまだ日本になく、自主的な活動を始めるというのは、とても変わったことでした。
代表の長田が、和光大学の学生だったころ、就職せずに任意団体を設立する(それを仕事にする)というのは、荒唐無稽で非現実的なことだととらえられました。また、いっしょに活動する若者たちの多くも同じように周囲に言われ、共に活動をはじめた子どもの親たちも、地域社会の理解はおろか、家族の理解を得るのにもやっとでした。
そんなわけで、わたしたちの活動は、はじまったばかりなのにすでに傷だらけ。世の中の支持も、お金も、実績もありません。ふつうなら、きっとくじけて、なくなってしまったと思います。事実、そのようにして消えていく市民活動は数知れません。
なぜ、わたしたちの活動は、他の多くの活動のように消え去ってしまわなかったのでしょう?
すごいカリスマリーダーがいたから?
大口の資金援助が受けられたから?
優秀な人材が集まっていたから?
いずれも違います。
わたしたちにあったのは、「意志」と「場」でした。卑下して言うのではないのですが、一人ひとりが飛び抜けて優秀ということはありませんでした。わたしたちが優れていたのは、きょうを明日へ、明日をその先へと、一歩一歩未来へと「場をつなげていく力」「人と人のつながり方」でした。
あるときは終夜営業のファミレスで、あるときは事務所で、あるときはだれかの自宅で、会議をしたり作業をしたり、いろいろ話し合ったりしてきました。そのひとつひとつを、わたしたちはとても大切に扱い、団体が吹きさらわれてしまいそうなときには、文字通り背水の陣で話し合いました。
そして、目の前の場が充実していれば、それは必ず次の場につながる。お金がないことや人がいないことは、団体が消えていく本当の理由ではない。場がダメになってしまうと、そこにはお金も人も集まらず、やがて活動がダメになり、団体が消えていくのだということが分かりました。
わたしたちが「場づくり」を大切にしているのは、まさにそれがわたしたちの活動を守り、育ててきたからです。