場づくりとは?


「場づくり」とは?



「場づくり」と聞いて、何を思い浮かべますか?
「建物」というより、「人間関係」のことです。
活動の場をつくること、いまある活動を豊かにすること。



気のおけない仲のいい友人どうしで集まると、そこにはある「場」が形成されます。カフェでも居酒屋でもだれかの家でも、快適さなどの違いはあっても、そこある「場」の本質は同じ。では、「場づくり」とはなんでしょう?


◆いまある活動を、よりよいものに…
活動の場づくり、会議の場づくり、安心できる場づくり…「場づくり」は、あらゆる活動の共通テーマ。でも、ちょっとつかみどころがないかもしれません。じつのところ、「場」と「場所」は別物。場とは、建物というより人間関係──その瞬間の雰囲気や可能性を表します。よりよい「場」がつくれるようになると、不可能だと思ってあきらめていたことに可能性を感じたり、予想外の楽しい展開が生まれたり、問題があってもそれにアプローチ出来るようになり、活動の質が変わります。


◆ゼロからのスタートに…
自分がやりたいこと、問題だと思っていることがあっても、外にちょうどいい活動の場がないとき、どうすればいいのでしょう?「場づくり」の理論と実践が身についていれば、活動の場をゼロから創造し、それを豊かなものに高めていくことが出来ます。


◆自分が変わる、世界が変わる
「場づくり」には、取り組んでいく順番があります。一人でがんばること、仲間と取り組むべきこと。周囲に合わせて進めること、たとえ批判を受けても自分を信じて貫くこと。それらを整理して学び、対話のなかで深め、自分自身・場を確立しましょう。
新しい「場」が出来ると、自分の内面、生活、世界が変わります。

場所と場はべつもの。
大切にすべきなのは?(長田英史)

講師・長田英史のメルマガ「場づくりのチカラ」の
バックナンバー(非公開)から、一部をご紹介しています。


NPOや市民活動団体のもっともよくある悩みは、

「活動の場所がない」というものだそうです。
 
みなさんは、活動の場をどう考えていますか?

自前の場所を保有したり賃貸するとなれば、
事務所であれ、運動場であれ、

一軒家であれ、店舗物件であれ、

 
どれもこれも高コスト!


その場所が持てないから、活動が出来ない…と。

でも、それは本当に正しいのでしょうか?

 
「場所」と「場」は、まったくの別物です。

「場所」は、地図上に座標で示せる地点のこと。

そこには広場があったり、施設があったりします。

それでは「場」とはなんでしょう?

 
ちょっとイメージしてみてください。


気が置けない仲のいい友だちどうしで集まると、

リラックスした雰囲気が出来ます。

 
そのメンバーだからこそ話せる話題、本音。

普段の生活では得られない、安心感や充実感があります。

その「場所」が、だれかの自宅でも、カフェでも、

旅先でも、快適さや趣の差こそあれ、そこに生まれる

共通した雰囲気や可能性──それが「場」です。

 
「場」とは、建物というより、むしろ人間関係です。

 
  *
 
僕は仕事柄、様々な「場づくり」の現場を訪問します。

 
 <「場」先行パターン>

 場所はないけれど、公共施設などで活動の場を持っている

 
 <「場所」先行パターン>

 場はないけれど、自前の施設や店などの場所を持っている

 
意外に思われるかもしれませんが、難しいのは後者です。

なにかの関係で、場所だけが先にあるパターン。
 
場所だけをみて、「この場所いいな〜!」と思えるような、

そんな素敵な場所であればあるほど、

場所に惑わされてしまう可能性が高まります。

 
「場所」ではなく、「場」をみてください。


  *

 
場所が持てないと嘆く前に、場づくりしてみましょう。

いい場ができると、チカラが湧いてきます。

 
ただ、活動の性質によって、場所が必要な場合もあります。

例えばシェルター的な活動は、いくらそこの場がよくても、

やはり常設の施設=場所が必要です。

 
それでもやはり、大切にすべきなのは、目の前の場です。

 
高コストな「場所」の問題にはすぐに取り組めなくても、

よい「場」にするための努力は、すぐに始められます。


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BACKNUMBER

れんげ舎が「場づくり」ということを大切に考えるようになったのには、理由があります。

わたしたちの活動は、小さな子ども会活動でした。1990年代前半、当時はNPO法人格もまだ日本になく、自主的な活動を始めるというのは、とても変わったことでした。
代表の長田が、和光大学の学生だったころ、就職せずに任意団体を設立する(それを仕事にする)というのは、荒唐無稽で非現実的なことだととらえられました。また、いっしょに活動する若者たちの多くも同じように周囲に言われ、共に活動をはじめた子どもの親たちも、地域社会の理解はおろか、家族の理解を得るのにもやっとでした。

そんなわけで、わたしたちの活動は、はじまったばかりなのにすでに傷だらけ。世の中の支持も、お金も、実績もありません。ふつうなら、きっとくじけて、なくなってしまったと思います。事実、そのようにして消えていく市民活動は数知れません。
なぜ、わたしたちの活動は、他の多くの活動のように消え去ってしまわなかったのでしょう?

すごいカリスマリーダーがいたから?
大口の資金援助が受けられたから?
優秀な人材が集まっていたから?

いずれも違います。
わたしたちにあったのは、「意志」と「場」でした。卑下して言うのではないのですが、一人ひとりが飛び抜けて優秀ということはありませんでした。わたしたちが優れていたのは、きょうを明日へ、明日をその先へと、一歩一歩未来へと「場をつなげていく力」「人と人のつながり方」でした。
あるときは終夜営業のファミレスで、あるときは事務所で、あるときはだれかの自宅で、会議をしたり作業をしたり、いろいろ話し合ったりしてきました。そのひとつひとつを、わたしたちはとても大切に扱い、団体が吹きさらわれてしまいそうなときには、文字通り背水の陣で話し合いました。
そして、目の前の場が充実していれば、それは必ず次の場につながる。お金がないことや人がいないことは、団体が消えていく本当の理由ではない。場がダメになってしまうと、そこにはお金も人も集まらず、やがて活動がダメになり、団体が消えていくのだということが分かりました。

わたしたちが「場づくり」を大切にしているのは、まさにそれがわたしたちの活動を守り、育ててきたからです。